世界で2番目に小さな国「モナコ」のカジノ戦略とIRの先駆け
南フランスとイタリアとの国境沿いにある、バチカン市国に次いで世界で2番目に小さな国「モナコ」。
今や世界一裕福な国として知られるモナコの、IR先進国としての戦略と歴史を振り返ってみる。
モナコが観光立国として成功を収めた一番の理由は、年間を通して温暖な気候であることが挙げられるがそれだけではない。
1860年代に冬になると北欧から訪れる王族、貴族達をいかに楽しませるかを当時モナコのカロリーヌ王妃とシャルル三世が考えたのが、カジノであった。
カジノの発祥は15世紀のフランスとされているが、当時のフランスではカジノに関して様々な規制があり、それほど大きく広まってはいなかった。
そこに目をつけたモナコは上流階級の社交場としてのカジノを開くことにした。
また、現在におけるIR(統合型リゾート)発祥ともいえるカジノ以外の施設にも着目した。
良質なミネラルを含む地中海の海水を利用した「スパ」を開き、カジノで疲れたセレブたちの癒しの場を提供した。
その後もモナコのIR戦略は続く。
1863年には、パリのオペラ座を手がけたシャルル・ガルニエによって「ル・カジノ・ド・モンテカルロ」や、エンターテインメント施設である「オペラ・ド・モンテカルロ」の建設、また1864年には「ホテル・ド・パリ」を開業。その後も次々と豪華なホテルや別荘、鉄道などが建設された。
カジノによる繁栄とこれからのモナコの展望
19世紀の半ばより、モナコが今日のような繁栄を成し遂げてきた大きな要因は「カジノ」であることは誰にでも明白である。
しかし、モナコの成功はカジノだけに依存し続けてきたわけではありません。
IR(統合型リゾート)という言葉が生まれる遥か昔から、モナコはカジノ以外にも様々なイベントを開催し来訪客を楽しませる努力をしてきたのです。
あなたも良くご存知のイベントとしては、1929年に始まったF1「モナコグランプリ」ではないでしょうか。
今では、インディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、F1およびモナコ公国のシンボルともいえる名物レースとなっています。
他にも、1928年にはテニスコートが作られ、現在も続く男子プロテニス競技大会「モンテカルロ・マスターズ」が行われている。
現在においては、スポーツのみならず国際見本市や一流ブランドの新作発表会、国際会議など世界の有識者たちが集まるようになり、モナコにおける年間のイベント数は700を超えるようになっている。
モナコといえば、カジノというイメージが強いのかもしれないが、国内の収入はカジノよりもホテルやその他の部分の合計のほうが多くなっているのです。
モナコのカジノは、マカオやラスベガスのそれと違い24時間オープンではなく、午後2時位から深夜2時位までの営業となっています。
カジノホテルの数やテーブルゲームの台数も長い期間増えていません。
プライベートサロンはあるが、完全なVIP専用個室はごくわずかなのです。
カジノで国の基礎を作り上げたモナコは、現在次のステージへと入っています。
すなわち、今後カジノが衰退したとしても、国として繁栄を続けられる仕組みが出来ているのです。
マカオやラスベガスの様なエンターテインメント性重視のカジノ運営から卒業し、その先へと進んでいます。
今後もモナコが更に進化を続けるためには、「モナコブランド」に頼るだけではなく、常に進化を続けなければなりません。
「MICE(※注)」、「レジャー」、「カジノ」の3つを軸として、バランスよく発展させることが次世代のモナコにつながるといえます。
(参考)カジノジャパン2014vol.29
(※注)MICEとは、Meeting(会議・研修・セミナー)、Incentive tour(報奨・招待旅行), Convention またはConference(大会・学会・国際会議), Exhibition(展示会)の頭文字をとった造語